どうして、 『どうして―――私達の子が、あの人を殺そうとしているの!?』 涙も涸れて、声もつぶれて、それでもなおその嘆きは止まらない。 ただただ絶望だけが胸を占め、真っ暗な悲しみに押し潰されている。 どうして、泣いているの どうして、絶望しているの どうしてこんなに、胸が張りさけそうなの。 爪がはがれてしまうほど、地面を強く抉る。けれど泥と血にまみれているのは、手だけではなかった。 そこからつながる腕も、肩も―――ああ、その時になってようやく気付く。 胸に開いた大きな穴。 ごぼ、と喉から熱いものがこみあげてくる。 苦しい。 けれどそれ以上に―――悲しかった。ただ、そればかりだった。 『ごめんなさい…』 誰に、謝っているの? 『ごめんなさいっ…』 なにを、後悔しているの? 死が近いのか、もはや視界には何も映らない。 ひゅうひゅう、と喉が鳴る音だけが耳に届く。 なのに―――何故か、わかった。 この先に、手を伸ばした先に――――――こと切れたあの人がいることを。 本当は這ってでも彼の傍へと行きたかった。 けれどそれも叶わない。 そんな力、もうどこにも残っていないことは、誰よりも自分が知っていた。 それでも □■□ その時は、ただ―――眼前に現れた男の面影に、息を呑むばかりで。 『お、お前…! 何故…!?』 (……何だ?) リリララの焦った声が、微かに聞こえた、ような気がした。 けれどそれに疑問を持つ前に、 「人間どもはいずれ必ずこの星を潰す。だから滅ぼし、我々だけの世界を作らねばならぬ」 面影だけでなく―――声すらも、良く知っている男のものと似ていて。 そう、だって、まるで――― 『シルバ…!?』 葉の愕然とした呟きが聞こえてくる。 確かに男は―――あの優しくて気さくな、パッチの青年祭司と瓜二つだった。顔も、声も。 『確かに、そっくりだな…』 声が掠れているのに、自分で気付いた。 だってまさか、彼をこんなところで見るとは思わなかったから。 それが良く知っている、尚且つ信頼している人物であれば―――仕方なかった。 リリララは言ったのだ。 この男の事を―――悪魔だと。 『…奴がパッチなら、似た顔の子孫がいてもおかしくはない』 言いながら、蓮は自分で自分の言った台詞を噛み締めた。 そうだ。これは、五百年前の事なのだ。現在ではない。 ならばこの男も―――きっと、本人ではない。 しかしどういうことだろう。 リリララは教えてくれたのだ。 このセミノアの戦士たちは―――自らが死ぬ場所へ進んでいる、と。 最期の決戦の為に。 まさか。 この、男が―――? 男の語る、シャーマンキングダム建設という望み。 騙されたと怒りを露わにする戦士たち。 そして、そこからは―――あっけないほど、早かった。 気付けば、戦士たちの三人が死んでいて。 蓮の同調したイアンも、それを視認した直後、死亡した。 人形の与えた痛みと同じ―――片足を切断される、あの激痛を最後に。 「―――おい、蓮起きろ! が…」 そうして真っ暗になった視界で、不意に飛び込んできたのは、ホロホロの呼び声だった。 その切羽詰まった声と、無視できない名前に、ハッと蓮は目を開ける。 薄暗い視界。まだヴィジョンの続きかと錯覚しそうになるが―――否。徐々に輪郭が鮮明になっていく。ゆらゆら揺れる燭台の灯り。 ―――現実に、戻ってきたらしい。 そして。 「っ!」 リリララの腕の中で、固く目を閉じたの姿を、見つけた。 ホロホロ達が戸惑いを隠せず、その傍に寄り添っている。 「どういうことだ! 何があった!」 「…わからぬ。私はただ、お前たちと同じようにあのヴィジョンを娘に見せただけだ―――そして」 突然意識を戻したかと思えば、短い痙攣を起こした後、気を失ってしまったというのだ。 リリララの様子に、彼女自身もまた予期せぬ出来事だったということがうかがえる。 呆然と、竜が呟く。 「まさかちゃん、あの光景に耐え切れずに…」 「いや…彼女が気絶したのは、その前だ。あの悪魔が現れてから……」 リリララの言葉に、ぴくん、とここにいる全員の肩が揺れた。 あの、悪魔。先ほどのあの惨劇を、思い出して。 (やられる直前に見えた、あの男のオーバーソウル……まさか、は) あの男の正体を、知ったから―――? 「…ここは少々空気が悪い。彼女は別室で休ませた方がいい」 「………ならば俺がつれていこう」 リリララの言葉に、蓮はを抱えた。 セミノアの部族が受け継いできたという、五百年前の記憶。 そこに出てきた悪魔のような、パッチ族の男。 その巫力。 持ち霊の姿。 そして、何よりその魂の在り方。 葉達にとって、もう何度対峙してきたか知れない。 けれど忘れる訳がない。 見極められぬ筈がない。 あれは――――確かに、ハオ本人だった。 けれどリリララが言うように、あれは五百年前の出来事の筈。 何故そんな大昔に、ハオがいるのか。 そして、彼が言った台詞。 “我こそは未来王。十八万の月ののち、再び甦るだろう” 十八万の月ののち、とは五百年後―――つまり、今のことだ。 五百年後に甦ったセミノア族にとっての悪魔。それが、ハオ。 その理由も、方法も、見当もつかなかったけれど。 ハオが関わっている。 それならば―――見過ごせる筈が、なかった。 元より、たとえ故意に流された噂とは言え、数少ないパッチ村への手掛かりのひとつだ。 それは葉達にとって、ますます知らなければならないことに他ならなかった。 たとえ、どんな痛みを伴っても。 どんなに辛い記憶であっても。 ハオと深い関わりを持った、現シャーマンファイトの選手たち。 ハオに殺され、夢の潰えた部族の末裔。 シャーマンファイトという、同じ舞台を通して、出逢うべくして出逢った者達。 そうまるで――――見えない何かが、引き合わせてくれたような。 それから――― 葉達は何度も、セミノアの記憶を身を持って体験した。 そのたびに、セミノアの武人たちが一体どこを歩き、どこに向かって進んでいたのかを知ろうとした。 死ぬ者の痛みを、恐怖を、何度も味わいながら。 夢ではない。実際に体験するのとそれは相違なかった。 何度も何度も。 見かねたリリララが、止めようとしても。 何故ならそれは――――巨大な強さの前に、なすすべもなく殺されていったセミノアの武人たちの…積年の願いでもあったからだ。 いつか、自分たちでは成し得なかった夢を掲げ、未来へ進んでいくシャーマンが現れると。すべてを託せる人間が、現れると。 ずっとずっと…信じてきたのだ。 やがて彼らは、葉達を認め、成仏していった。 ハオと言う、強大な存在を忘れるなと言い遺して。 そして、葉達それぞれの中に、何度も追体験する度に強く心に刻まれた―――彼らの無念の思いを残して。 ずっとその掟に縛られて生きてきたリリララを、解放して。 「………」 武人の霊たちが、消えてしまってから。 リリララはずっと放心状態のままだった。 その肩が、少しだけ小さく見える。 当然だった。 いくら、縛り付けていた掟から解放されたからと言って―――きっとそれだけではなかったはずだ。掟とは、そういうものだ。 「……今まで……」 今まで積み重ねてきたもの。 掟は―――人生、そのものだった。 なのに。 消えてしまった。 「今までの、私は…」 「言ったろ。リリララは、オイラたちにとって道しるべなんだって」 ぼんやりと呟いたリリララに、葉がゆっくり告げる。 穏やかに―――けれど、確かな響きを持って。 リリララの頼りなげな視線が、そろそろと動いて、葉を見つめた。 「リリララや、その前のセミノアの人たちががそうやって守って……伝えてきてくれたから、オイラ達が受け取れたんだ。リリララ達がいなかったら、オイラ達だってもうとっくに路頭に迷ってた。リリララがオイラ達に道を教えてくれたんだ。だから…意味がないなんてない」 「……道を…」 「知ってるか? オイラのいた日本では、こういうの―――縁って言うんよ」 そう言って、葉がゆるく笑う。 そのゆるさに、確かに彼らの心の強さを垣間見た気がして。 …まるでどっしりと構えた、巨大な樫の木のような。 それでいて紡がれる言葉は、乾いた地面に沁みとおる水のよう。 ―――ああ、そうか (きっとこういうのを……王の風格と、言うのかもしれぬ) 「縁、か…」 そうぽつりと零して―――少しだけ、リリララは微笑んだ。 まだぎこちなく。けれど、どこか吹っ切れたように。 「―――こうなることを、私は心のどこかで知っていたんだと思う。『しるし』は目に見えるものばかりではない。過ぎ去って、ようやく判るものもある。……きっと、これがそういうことなのだろう」 セミノアの武人達が成仏したあと、蓮は真っ先に二階のの寝ている部屋に向かった。葉たちはあのまま、リリララと一階で談話している。 扉を開けると、向かいの窓から夕暮れの風が運ばれてきて、カーテンを揺らした。そのすぐ脇にあるベッドの上の彼女の瞳は、まだ固く閉じられたままだ。 「………」 その小さな手を、握る。 ――――冷たい。 抱えて運んだ時も感じたが、少し、体温が低すぎるような気がするのだ。 (あの時、お前に何があったんだ。やはりあの男がハオだとわかったからなのか…?) それとも。 他に何か―――あるのか。 何にせよ、本人が目を覚まさなければわからないことだらけだった。 だから、待つ。 彼女が起きるまで。起きた時、いちばんに大丈夫かと声をかけるため。 目覚めたばかりの彼女を、一人にさせたくなくて。 「……」 早く起きてほしい。 安心させてほしい。 そう思った時。 「―――!」 何の予兆もなく。何の予備動作もなく。 まるで瞬きでもするように―――少女が目を、開いた。 名を呼ばれて、その視線がゆっくりと宙をすべり、覗き込む蓮へと焦点を合わせる。 (――――?) 蓮はふと、首を傾げた。 何だろう。 何か。 ……違和感を、一瞬感じた。 けれど、本当にそれはたった一瞬のことで、何が違うのか、何が気になったのかまではわからなかった。 ―――――とりあえず。 「全く……葉達も心配していたぞ。お前に何があったのか。……おい、起きられるのか?」 そう言って、上半身を起こそうとしたの背を、慌てて支えてやる。 すると。 ひやり。 頬に冷たい手が添えられる。それは開け放した窓の、夜の風によるものというには余りにも不自然なほどの、冷たさ。 目を覚ました筈なのに、低い体温はそのままだった。 蓮は目を見開いて、を凝視した。 そこにあるのは―――人形のような、無表情ばかり。 …おかしい。 おかしい。 目の前にいるのは、なのに、その筈なのに… 何かが違う。 蓮の耳の奥で、心臓の音が少しだけ早くなる。 違和感を更に訴えてくる。 たとえるなら―――見た目は、なのに。 中身だけが別人のような。 でも――――そんな、有り得ないこと、 「――――道、蓮」 響いた声音は、いつもの彼女と違っていやに淡白で。 なのにその小さな唇が紡ぐには―――どこか重々しい。 (……違う) 違う。 違う。 これは、彼女じゃない。 の姿をしているけれど―――ちがう。 絶対的に、違う。 これは一体――――どういうことだ。 今目の前にいる少女は――――誰? 一体の身に何が起こってしまった? 「……誰だ。貴様」 声が、掠れていた。 自分で言っていて、なんて馬鹿げた質問だろうとも思った。誰も何も、彼女は彼女だ。それなのに―――蓮の心はそれをよしとしない。むしろ警告を発している。 振り払えばいいのに、頬の手を無下に出来ないのは……見た目のせいか。 ふいに、蓮の戸惑いの視線の先で、少女がまるで大輪の花が咲き綻ぶように、にっこりと笑った。 それは、まったく無邪気と言っていいほどの満面の笑み。 どこにも邪気がない。どこにも、他意がない。 何もしがらみを持たない、何の因縁もない――――どこか空っぽな。 生きている人間にこんな顔は出来ない。生まれたての赤ん坊だって、快不快の感情を持って表情を作るのだ。 なのに。 これは。 感情が一切ない、ただ本当にそれだけの意味しか持たない、手放しで、むきだしの笑顔。 笑顔のお面と向き合っているようなものだ。 それに気づいた時、蓮の背中をうすら寒いものが走り抜けた。 「。知ってるはず」 「…違う。貴様は、違う…! いったい、何者―――」 「しっ」 唐突に。 思わず声を荒げてしまった蓮の唇に、柔らかいものが当たった。 代わりに頬にあった冷たい感触がない。 言葉が、すうっと喉の奥に消えていく。 それは―――の、人差し指だった。 (……な、) 心なし、さっきより顔の距離が近い。 目の前のそこに、もうあの笑みはなかった。また元の通り、人形のような無表情。 蓮の動揺など気にも留めず、は淡々と告げた。 「……騒いだら、だめ。気取られてしまう」 「な、に」 「気付かれたくない。今は、まだ。道蓮の為にも……『いまの』の為にも」 声音から、一切の感情が抜けている。ぽつりぽつりとその唇から零れてくるのは、砂粒のように乾いた言葉ばかりだ。 なのに―――――瞳の力だけは、変わらない強さを宿していた。 そこには、何かの固い意志が、たしかに在った。 その双眸が、蓮を、真っ直ぐに射抜く。 「っ…はな、れろ」 こらえきれなくて、蓮は『彼女』の身体をぐいと引き離した。 此方に身を乗り出していた『彼女』を、ベッドに推し戻すように。 『彼女』は案外簡単に離れてくれた。どうやら有する力も、見た目と同様さほどないらしい。 密着状態から抜け出して、蓮はようやく、金縛りのような緊張から開放される。 知らず知らずのうちに―――呼吸さえ、潜めていた。 大きく息を吸う。だが鼓動が早いのだけはどうしようもない。 けれどそれが、単なる緊張のせいだけではないことも、嫌と言うほどわかっていた。 それだけの、目を惹きつけるような何かを『彼女』は確かに有していた。 「…気付かれたくないとは、一体何のことだ」 「………お前も、よく、知っている」 「何…?」 そうして。 少女の赤い唇は、紡ぐ。 抑揚も起伏もなく。 静かに。 「―――――パッチ」 ひそやかに。 呟くように。 「彼らは―――私を守るためにいるのではない。私を見張るために、いる」 「彼らは恐れている。私が現れるのを。千年前の記憶、そして五百年前の記憶を持つ私がまた―――歯向かうのではないかと」 「…そういう意味ではハオと変わらない。もっとも、あれは恐れているどころか、むしろ助長しようとしているけれど」 「―――気付かれたら最後。彼らはどんな手段を使っても、自らの手の届く位置に、私を置いておこうとするだろう」 「………」 何だ 何を言っている 彼女はいったい、何を言っているんだ ? ――――まさか。 まさか、この目の前の少女は、 「お、前………『』、なのか」 古より続くシャーマンファイトのすべてを、見守り続けてきたという。 蓮の良く知るではなく、 “星の乙女”としての、彼女。 まさか。 …まさか。 腹の底が冷えていく。 記憶が―――戻ってしまった、のだろうか。 失われてしまった記憶が全て戻った結果、蓮のよく知るあの少女は…変容してしまった? あの、 おずおずと笑う少女は、 膨大な星の記憶の前に――――塗り潰されてしまった? ふと、蘇った数日前の会話。 あの少女が、不安げに、言っていた言葉。 昔の記憶が強すぎて。 まるで呑み込まれてしまいそうなのだと。 そのときは、千年前の彼女が抱いていたハオへの想いのことだったが… もし。 その想いだけでなく、すべての記憶が戻ってしまっているなら。 けれど、目の前の『彼女』は首を横に振った。 「お前の知るあの子は、ちゃんとここにいる。私が消えれば、あの子もじき目覚める」 そう告げると、長い睫毛に縁取られた目を、そっと伏せて。 まるで―――祈るようにただ黙したあと。 『彼女』はもう一度、瞼を開いて、蓮を見つめた。 その時初めて――――『彼女』の、感情のようなものがちらりと覗いた。 もうそこに、あの強さはなかった。 淡白さも、どこか感情のない空虚な笑顔でもない。 あるのはただ、目を離せば陽炎のように、たちどころに消えてしまいそうな――――儚さ。 「憶えていて」 それは硝子のように透き通っていて。 どこか、憂いを湛えた。 「たとえ……どんなに離れていても。どんなに会えなくなっても。……信じてほしい。この子を。生まれた結びつきは、そう簡単には消えないから。きっとそれは―――間違いなどでは、ないから」 告げられた言葉は、けれど蓮にとってほとんど意味の分からないものだった。 けれどその声に滲む、どこか必死な様子に、気圧されて。 何も言い返せないまま、気付けば、頷いていた。 「…ありがとう」 少女は微かな笑みを浮かべた。 それは、蓮の良く知るあの少女の顔と少しだけ似ていて。 困ったようにも、泣いているようにも見えてしまう、笑顔。 だから――――その思いもかけない笑顔に、蓮の反応が一瞬遅れてしまった。 息遣いがわかるほどに、少女の顔が間近に迫る。 吸い込まれそうな瞳が、そっと閉じて。 そうして唇に触れた、小さな温度。 流れ込んでくる――――微かな吐息。 「―――星の子。『いまのわたし』が選んだ、愚直で潔い子。おまえの行く道に、どうか幸多きよう」 やがてそのささやきを最後に。 少女の身体は、絶句した蓮の腕の中へ崩れ落ちてしまった。 |